知的財産権ビジネス戦略 第3章第1節

3-1. 著作権概念の登場


活版印刷を契機に発展した権利意識 出版者の権利から著作者の権利へ

活版印刷を契機に発展した権利意識

 文字はあっても、いわゆる文芸の類は口頭によって伝承するのを原則とする、という時代が、中世まで長く続いた。古代、中世の詩人の一部には、自分の作品という意識を持ち始めた者もいたらしい。しかし、大勢は、共有することこそ是であった。というより、作品の私有という概念自体が存在しなかったのである。古代のラテン語詩人マルティアリスは、他人が書いたものを盗用する者を表現するのに、略奪者という言葉を、使っているという。 1)しかし、このような早い時代に著作権意識に目覚めたケースは例外である。

 1450年にグーテンベルクが活版印刷術を実用化してから、海賊版が登場し始めた。それからほどなくして、印刷された本をもとの出版者以外のものが出してはならないというお触れが出るようになる。王室に本を献上するかわりに勅令を得たり、特権を付与してもらったりしたのである。

 そうした勅許を求める行為の主たる目的は、貿易の独占と同じく、悪くいえば独占による利益の確保であった。良く解釈すると、著作者ではなく出版者の権利となった理由が二つ考えられる。まず、最初は聖書や古典が出版の対象となったので、著作権者が存在しなかった。次にその結果、複数の異なる写本、抜けがあるのが当然な写本から元の本を構成し、綴りを統一し、版を組むという出版者の作業こそが何にも増して大変な作業になった。そのため、その権利保護が主眼となった。ともかく、著作者の権利保護という視点からはほど遠かった。1518年にヘンリー8世からそのような特権を得ていた者の例として、リチャード・ピンソンという名が伝わっている。また、出版特許ではないが、1469年、ベネチア市から5年間の印刷術使用の排他的権利を授けられた例としてヨハン・フォン・シュパイエルという名が伝わっている。

 1557年には、ロンドンにおいて、印刷出版業者のギルドと呼べる「出版・印刷同業組合」が王室の特許を得て結成されている。出版物の登録と同時に、違法出版物の捜査、押収権利を持っていた。一方で、原稿の事前検閲を政府機関の代わりに実行していたようである。

出版者の権利から著作者の権利へ

 1640年に、ピューリタン革命が始まった。原稿の事前検閲を行っていた政府機関が廃止され、その手先の役割も果たしていた出版・印刷同業組合の威光も弱まる。それに伴って、新聞やパンフレットの類が急速に世に出回るようになったという。

 1710年にイングランドで著作権法が成立する。独占による業者の権益保護という視点から、著作者の権利保護による学芸の発展の確保という視点の変換が起きた。その面で、時代を画す法律であった。法自身の前文などによれば、法の目的は学術の促進をはかることであり、学ある人に有益なる書物を構想、執筆せしめるために権利を与えることになっていた。 2)

 それまでは出版業者が出版権を永久に独占していたが、この法律では、発行から14年間の更新可能な著作権という考えを設定した。著作者が著作権を出版業者に渡した場合でも、14年間は著作者の権利が守られる。ただしそのためには、出版業者の組合に登録し、公共図書館に9冊を納本する義務があった。ちなみに、大英図書館、ケンブリッジおよびオックスフォードの図書館の蔵書が、300年近くも前のこの時代から整備されているのは、この制度によるものだという。

 その後も出版業者は、永久的著作権を主張し続けた。1774年の貴族院判決にいたって始めて、著作権法が、それまでの判例による著作権の規定より、優位にたつことが明白になった。


1)  「印刷、スペース、閉ざされたテキスト」ウォルター・ヤング(1983)
2)  「アメリカ著作権制度」小泉直樹(1996)

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