グループウェアが商標登録されていた

執筆:97年10月中旬


 97年9月のなかば、「イントラネット&グループウエア・ソリューション」という展示会の準備委員のA氏と待ち合わせて酒を飲んだ。準備会が終わって、飲み屋に駆け付けた彼が「今日、ジャストシステムが『グループウエア』は自社の登録商標だから、クレジットを入れてくれって言ってきて驚いたよ」と駆け付け三杯飲み干した早々こぼし始めた。

 話はこうだ。1980年代後半、筆者(中野)の高校の3年先輩に当たる会津泉氏が当時、氏が経営していたネットワーキングデザイン研究所の名前で「グループウエア」の登録商標を取得した。氏はその後、国際大学グローコムの企画部長をメインの仕事とし、さらに97年春、マレーシアのマルチメディアスーパーコリドー計画の支援を主業務とするため、マレーシアを主な活動拠点に変えた。

 グループウエアという言葉を作り出したのは米国のジョンソン・レンツ夫妻と言われる。グループウエアを日本で提唱する上で先陣を切った一人である会津氏がそれを知らないはずはない。

 氏の卒業した高校(すなわち筆者の卒業した高校)では、卒業式で卒業生が校長と握手をするという伝統があって、創立以来、氏が卒業する日まで19年間、校長に反発した生徒は何百人もいたはずだが、握手を拒否する生徒は出なかった。氏は栄えある握手拒否第1号である。そんな氏のことなので、登録商標という制度の愚(筆者は登録商標はいい制度だと思っている)を、反面教師として浮き彫りにするためのダミー登録か、とも考えられなくはない。

 ただそうすると不思議なのは、登録商標の権利を売ってしまったことだ。95年10月にジャストシステムが、グループウエアの商標権を買ったのである。それまでに権利を行使した形跡はないから、取得後10年も経って急に権利を主張し始めるのには、しょせん無理がある。権利はあるが主張はせず使用をオープンにすると宣言すれば、旧アンチエスタブリッシュメントたる会津氏の面目躍如だったのに、たかが数十万円で売るなどしたのか。そこまで含めて、トラディッショナルな登録制度のおかしさをあぶり出すためのパフォーマンスだったのか。

 蛇足だが、冒頭の飲み屋で委員A氏と一緒に飲んだ一人が週刊ダイヤモンドの松室編集長である。週刊ダイヤモンド97年9月27日号、18ページの記事はその飲み会がきっかけとなった。


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