ネットワーク社会は伝統社会のほころびの拡大鏡

執筆:97年10月中旬


 この秋「組織犯罪対策法」が成立しようとしている。「キツネ目の男」こと宮崎学氏は、週刊アスキー97年10月6日号(休刊前最終号)の中で、すでに事実上行われている当局による盗聴など大した問題ではなく、マネーロンダリング、証人の保護、司法取引などと、それに伴う組織犯罪の地下化の方が大問題だと述べている。暴対法成立前、非社会的集団が街中、肩で風を切る公然性を備えていた時代には、凶悪犯罪の検挙率が今よりずっと高かったという。

次は暗号政策に移るのがみえみえの盗聴法

 犯罪の地下化の問題には後で戻るとして、それにしても、当局による盗聴が合法になるのは、困ったことである。朝日新聞10月7日付朝刊の「論壇」欄で、弁護士の牧野二郎氏が、この問題について非常にすっきりと論点を整理してくれている。いくつかの点が指摘されているが、筆者(中野)としては(1)警察による共産党幹部盗聴事件を、検察審査会が起訴相当と判断したのにもかかわらず、検察が不起訴にした事実が示すように、捜査する側に自浄力はない、(2)国会と被盗聴者に盗聴事実を報告する米国型ならかなりましだが、日本の法案はそれからほど遠く危険性が高い、(3)暗号対策の議論をしないて盗聴を強行すれば、一般市民の電子メールだけが傍受、解読でき、犯罪がらみの暗号メールは読めない--の諸点に、興味を覚えた。

 筆者(中野)は十数年前、上級国家公務員試験に受かって、警察庁の役人はどうかと誘われ、結局民間への道を選んだ。それ以来、役人の主張を、どうしても眉につばを付けながら聞いてしまうのだが、そうせざるを得ないぐらい、まやかしに似た話が多い。パチンコ業界へのプリペイドカード導入をなかば強制して影響力を強めようとした警察庁もその類に属する。

 面白い問答を引用しよう。97年10月1日付の日経産業新聞「日本の暗号政策」欄である。

 日経産業新聞記者「今国会で提出予定の『組織的犯罪対策法』は、日本版キーリカバリー方式(引用者注:利用者が暗号解読キーを第三者機関に登録し、必要に応じて当局がそれを入手できる)と考えていいのか。」

 法務省法事法制課長「(前略)新法は暗号通信を傍受できると規定しているだけで、証拠として入手した暗号文を警察が解読できるかどうかは別の話だ。キーリカバリーのように外部の機関が保管する暗号かぎに警察がアクセスするところまで新法は想定していない。(後略)」

 法務省、警察庁は、読めないメールを入手してどうするというのだろう。政治集団や宗教集団は、オープンさと公正さをアピールするためにメールに暗号を掛けない可能性がある。一方、犯罪集団が暗号を使うのは目に見えている。現代の暗号の厳重さは、数学的に立証済みである。内通者がいないかぎり、秘密鍵を入手することはできないだろうし、暗号利用者のサーバーは管理がされているだろうから、内通者が自組織のサーバーを探りに行けばたちどころにばれてしまう。当局は政治集団や宗教集団や一般市民のメールを読んで何をするつもりなのか。

コンピュータへの不正アクセスが犯罪に

 いま、サーバーにアクセスして秘密を探ると書いたが、現在の法律ではこれは違法行為にならない。97年10月2日付毎日新聞朝刊によると、警察庁はコンピュータへの不正アクセス(権限外使用)を規制することを検討中で、98年中の法律制定を目指している。これなどは遅きに失したというべきだろう。

 同紙によると、87年に刑法が改正された際、電磁的記録不正作出罪、電子計算機損壊等業務妨害罪(虚偽の情報を入れて業務を妨害する)、電子計算機使用詐欺罪などが新設された。しかし、人の机上の書類をのぞき見しても罪にならないのに、コンピュータだと罪になるのはおかしいと、のぞき見そのものは罪にしなかったという。

 筆者はこの動きには賛成だ。今までだと、のぞき見され、漏洩した情報が公開や譲渡されたことによって、窃盗、脅迫、プライバシ侵害、営業妨害などが起きたことを証明しないと罪にはできなかった。大きな前進である。

勃々と解釈が肥大化するわいせつ物公然陳列罪

 コンピュータ技術の発達は、何が罪かの解釈も変えていく。97年9月25日付の毎日新聞朝刊によると、京都地裁は、わいせつ画像をパソコン通信会員に閲覧させたとして、パソコン通信運営者をわいせつ物公然陳列罪で有罪とした。会員が載せたわいせつ画像によってベッコアメが家宅捜索された事件と違って、このパソコン通信運営者は自分でわいせつ画像を蓄積している。

 判決では「わいせつ画像を記憶したハードディスクはわいせつ物に当たる」と認定した。これは順当なところだろう。筆者は、当局や裁判所がわいせつ物とは何ぞやを決めるのはけしからんと考えているが、百歩譲って当局がわいせつ物を認定したとしたら、そのデータもわいせつ物だろう。  新聞を読むかぎり、わいせつ物のデータを収録したディスクをわいせつ物と認定したようだが、有史以来、情報を物に託して語るのは社会に染み付いた習性なのだから致し方あるまい。ディスクがわいせつかと言いだすと、紙や印画紙がわいせつなのか、網膜がいやらしいなのか、人の心の中の煩悩が悪いのか、といった論議になりかねない。

 一方、別のわいせつ物公然陳列事件では、検察側のものいいに疑問を感じた。この文の冒頭で触れた朝日新聞「論壇」の投稿者、牧野二郎弁護士が弁護側についている。

 不勉強ながら筆者の調査が足りなくて、この事件については97年8月27日付読売新聞朝刊の記事しか資料がない。若干推測が入るが御容赦願いたい。以下の【】に挟まれた部分が、現在の筆者の事実認定であり、ここに大きな誤りがあって、この文章の論旨を変えなければならない場合には、訂正を出すつもりである。

 記事によると、次のようである。

 【わいせつ画像を掲載したワールドワイドウェブ(WWW)のページ(Aページとここでは呼ぶ)が、被告となった横浜市の会社員のページ(Bページとここでは呼ぶ)と別にある。Aページのわいせつ画像にはマスク(画像の一部を隠すためのデータ)が掛かっている。このマスクは、マスクをとるソフト「FLマスク」があるとはずせる。被告の設けたBページにはAページへのリンクが張ってあり、また、「FLマスク」の利用方法が載っている。】

 伊藤弁護士は、法廷内にパソコンを持ち込んで、どの行為を犯罪行為と呼んでいるのかを実演を交えて正す予定である。たしかに、複雑な過程をたどるインターネットのWWWのサーバー蓄積やクライアントからのアクセスやハイパーリンクのリンク付けを、裁判特有のあの言葉使いで説明されたら、わかるものもわからなくなる(実際には、文章を書いて書籍を発行することだって十分複雑なわざなのだが、物に託して考えられるので考えやすいのだ)。

 さて、新聞記事の範囲で考えるかぎり、検察側の主張には無理があると考える。マジックインキで陰部を消したヘアヌード写真を展示した他人の画廊Aがあるとき、画廊の住所と、マジックインキをベンジンで消す方法とを教えたBが、わいせつ物公然陳列罪に問われたといった感じだ。

 今回の裁判で検察側は紙に印刷したマスク除去済みの「わいせつ画像」を提出したが、弁護側は証拠としての同意を拒否したという。拒否する側の気持ちの方がわかる気がする。紙粘土で作る花瓶の木型を売っていたら罪に問われて、木型に粘土を入れて焼いて作った鈍器が証拠として提出された、といった感じだ。

「情を通じる」、「密通する」は通信用語になるか

 古来から、人の欲望や欲望にかられてしでかす仕業にそれほどの違いはない。ディジタル時代、ネットワーク時代になってもそれは同じだ。それなのに、ネットワーク上に舞台を移すと、旧来の解釈の適用に強い違和感を感じる場合と、そうでない場合とがある。すぐ前に述べたケースでは、Bのページがわいせつ物を公然と陳列していると言われると、しっくりこない。

 次のケースなどは、仮に売春が悪いことだとすると、確かに悪いことだなと思うケースである。ただ、売春防止法でなくて児童福祉法なのは、ちと合点がいかない。たこ部屋に押し込められて強要されていたならなもかく、売春していた女子高生たちが自由意思なのは間違いがないからだ。もっともその疑問は、ネットワークを使わずに電話でも伝言でも同じことだが。

 余談だが、バクシーシ山下氏は週刊アスキー97年10月6日号(休刊前最終号)の中で、次のように述べている。「今、元気があっていいなと思っているのは援助交際ですね。風俗として見ても素晴らしいシステムだと気づいたんです。日本で表沙汰にならない売春はすべて管理売春ですけど、援助交際は自由売春ですからね。」確かにソープランドでは管理売春が行われていると誰でも知っているのにもかかわらず、警察の監視システムの中に組み込まれているせいか、逮捕されるどころか、あらためて非難する者さえ少ない。

 冒頭の宮崎学氏の発言ではないけれど、裏の世界とまったく付き合いのない身ぎれいなソープランド経営者の方が、ソープランド業界の中で多数派だとは到底思えない。それでもそちらは黙認されて、次の例のような、トウシロウが逮捕される。伝統的な売春業界の秩序を乱したのが、秩序を尊ぶ当局の逆鱗に触れたからだろうか。

 事件は富士通でマルチメディア担当を担当する事務職社員が起こした。伝言ダイヤル、パソコン通信、インターネット電子メールを駆使して、売春相手を求める男たちに、女子高校生たちを紹介して、あがりを10%〜15%程度ピンハネしていた。internetのcourseを作るはずが、その仕事中にintercourseのnetを作っていたわけで、罪かどうかはともかく、恥ずべきハレンチ行為なのは間違いがない。デート嬢と男性客と紹介日時が全部フロッピーに記録されていたということで、databaseならぬdate-baseの構築に精を出していたわけだ。

 あまり教訓の感じられない話題が多いと感じられたかもしれないが、次のような強引な結論で締めくくる。デジタルネットワークの世間は、伝統的な世間の縮図に過ぎない。やっていることに大きな違いはない。従来の法律では括れないことが多いので、パッチを当てたように法律や法律解釈を変えて対処しようとする。それ以外に当面の手はないから、それはそれで仕方がない。しかし、伝統的な世間の方にも論理のほころびがある。というか、歴史の筋金入りのほころびだから、そう簡単に直るものではない。それはそのままネットワークの世間に持ち込まれる。ネットワークの世間では、物に託した感覚的理解といったことが難しいから、緻密に論理を構成して黒白を付けたくなる。緻密にすればするほど、伝統的世間の論理の矛盾が滑稽なまでに拡大表示されて明らかになる・・・。


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