執筆:97年9月下旬
ある電子会議室で、市の広報の類に載った記事のうち、自分の関係する種類の障害を持つ人向けの記事を、その障害を持つ人向けのワールドワイドウェブ(WWW)に勝手に載せていいかという疑問をある人が提起した。また、同じく市の広報類に載った、予算関係の記事のうち、自分が監視しているジャンルの金の使い道の記事を勝手にWWWに載せていいかという問いもあった。情報公開の観点からみればいいに決まっていると答える人もいた。どうだろう。
筆者は、情報公開推進論者である。今まで出していなかった情報で出すべき情報はまだたくさんあると思うし、すでに出している情報もいろいろなメディアを通じてさらに多くの人の目に触れさせるべきだと思う。だから、WWWへの記事の転載を求めたのに、市などが許さないとしたらもってのほかだと思う。しかし、申し出れば必ず許諾すべきだということと、申し出ずに勝手にやっていいということとは違う。後述の、龍渓書舎事件と呼ばれる判決で、公共文書の著作権については、一度決着がついているからである。公共文書にも著作権が存在し、無断で複製してはいけないのである。
龍渓書舎事件とは、次のようなものである。戦後まもなく、政府は、日本人の海外資産について非常に苦労して調査を行った。引揚船が来るたびに、引揚者にインタビューして大部の報告書を作成した。機密扱いで200部ほどが作られ、関係省庁に配られて調査チームは解散した。
研究者にとっては、第一級の資料なのだが、なにしろ目にするだけで難しい。国会図書館をはじめとする図書館で数部が見られるだけなのである。
龍渓書舎という出版社が、研究者からの声に応じて、動き出した。戦後だいぶたって機密の意味もなくなってきたことから、復刻を企画した。この手の復刻に際して、中央省庁が拒絶することは滅多にない。それに安心していたせいか、龍渓書舎は、政府の正式の許諾が出る前に復刻版の広告を新聞に出してしまった。
ここで政府がへそを曲げた。復刻に伴う複製の許諾を拒んだのである。
龍渓書舎は国を相手に裁判を起こした。論点は、(1)条例、法令の類は、著作権による保護の対象からはずすと著作権法に定めてあるから、この報告書も同じ扱いになる、(2)機密の意味は戦後だいぶたってなくなっている、(3)公的文書の情報公開につながるから、国は複製許諾の申請を受けたら許可する義務がある--などである。
最高裁の判決は、原告敗訴。(a)著作権法に明記してある、条例、法令の類以外の著作権は、国や地方公共団体などがそれぞれ有している、(b)国会図書館に行けば見ることができるから、情報公開のために出版を許諾すべきとはいえない、(c)著作権を国や地方公共団体が有している以上、複製などを許すかどうかの裁量は、それらの組織に委ねられている--などの理由である。
この判決に従うかぎりは、広報の類に掲載された記事といえども、WWWなどに転載する際には、国や地方公共団体に許諾を願い出なければならない。ただ、著作物に該当しない、短信告知文や数値は、転載自由と考えてよい。
窮屈な話だとは思うが、著作権があるという判決が一度出ているからには、その著作権をまずは尊重すべきだろう。互いに尊重する姿勢を作っていかないと、市民自身の著作権も他者からないがしろにされる。ただし、役所の論理を突き崩す試みを否定しているわけではない。無断で載せるのがだめなだけであって「○○の類については、いちいち願い出なくても自由に掲載を認める」といわせればいいのである。大体、広くあまねく知らせたいからこそ、広報紙に載せているのである。